ある25歳の女の子から、「住むとこを探したいのでお金を貸して下さい。」とLINEが届きました。
久しぶりに会った彼女は、5歳の子の手を握り、0歳の子を抱っこしていました。
内縁の夫の暴力から逃げ、子ども二人と暮らす場所を探し転々としている、市役所で生活保護の申請をしたいのだが、窓口で申請には住所を確定して下さい、と言われたためすぐに住むところが必要とのことでした。
それから何度も市役所に一緒に足を運び、ようやく生活保護申請を受け付けてくれ、その足で高松自立支援センターに行き、つなぎ融資をしてもらい、次は住む場所。県営住宅にDV被害者の枠組みで入居できないか、警察の持つDV被害者等へのホテル提供の枠組みはつかえないか、生活困窮者自立支援法の中の住宅支援はどうか、いろいろあたりましたが、なかなか制度に当てはまらず、住居探しは本当に困難でした。結局知り合いの経営者の方が社員寮の空き部屋をしばらく提供下さいました。
そして、その寮で暮らし始めた矢先、彼女は初めて、数ヶ月だけ通った高校の「奨学金の延滞」があることを知り、利息を含めると40万円を超える債務となっていました。生活再建に向けてようやく歩み出した矢先なのに、、、
彼女と初めて出会ったのは、彼女が5歳の頃、私が児童養護施設で学習ボランティをしていた頃でした。その後私は転居し、7年後高松に戻った時、児童自立支援施設で暮らす彼女と再会しました。
しばらくして彼女は、措置を解除され親元に帰りましたが、バイト先のうどん屋さんに会いに行くとすぐに居場所がわからなくなっていました。
それから数年後、連絡があり、DVにあっている彼女と子どもを児童相談所に一時保護してもらいました。しかしその後、結局もとの夫のもとに戻りもう一人出産をするのです。一般的には、どうしてそうなるの、と思うかもしれません。しかし彼女は、生まれた時から乳児院で育ち、家庭もしくは里親などの家庭的環境で暮らしたことはありません。措置解除され、実親と初めて生活を共にするも、結局母親の帰らない公営住宅で一人きりで過ごしていたと言います。施設で育った中卒の女の子が1人ぼっちの環境にいれば、頼れる誰かが必要で、生活するためのお金をくれる誰かが必要だった。逃げても誰も助けてくれなければ元に戻るしかなかった。その状況は想像に難しくありません。
彼女のように、香川県内で施設等で暮らす子ども達は、現在毎年約200人。そして虐待等で一時保護される子ども達は昨年度のべ511人。決して少なくない数の子ども達が社会的養護を必要としています。
今回は、彼女のような社会的養護の必要な子ども達を全力で社会が育み、その一人一人が暮らし方、自立の仕方を自らが選択できるようにするためには、どの仕組みをどのように変えていけばいいのか、ともに考えたいと思います。